トップ画像
越知町鎌井田の集落から行くと車道脇にアジサイが延々と咲く2018年6月24日現在
あじさい街道地図

18-06-24日の浦への道2
これが本当のアジサイ街道9キロの道際に延々と咲く、標高が高いので場所によりまだ咲いて無い所もあった。
日ノ浦アジサイ

18-06-24日の浦あじさい

対岸の横畠北の集落も見える
18-06-24日の浦より横畠北

18-06-24日の浦あじさい2


毎年ここに行くとわざわざ出てきてくれて遠い所から高いガソリンを使いよー着てくれたと歓迎してくれる武智五郎さん。
10年以上日ノ浦のアジサイ祭りをしてきたが人員も足らず今年は出来んかったとのこと。
武智五郎さん

親サイト高知の面白いページ
関連記事
高知あちこち | コメント:0
香南市野市町東佐古白岩の山の中に鬼ケ岩屋洞窟がある
江戸時代この洞窟には鬼が棲むと言われ戦争中は洞内に陸軍第155師団歩兵第447連隊の一隊と思われる部隊が、防衛陣地を築いていた。全長は約30mほどだが、天井部の高さは、20mとかなり高い鍾乳洞
18鬼ケ岩屋洞窟
見る人が見たらこの洞窟も天井部分などに 鬼、人の顔が見えるはず。
18鬼ケ岩屋洞窟2

↓伝承 お妻が祠跡の記
伝承 お妻が祠跡の記700

まるで母の胎内から外を覗いたような気がする。
母の胎内から

↓50秒頃に女の叫び声が聞こえる。


鬼が岩屋の洞窟の外の石灰岩には近年クライミングをする為にピンを打ち込み自己満足の為 高い場所に登り自然破壊をし そのまま放置する悪質なやからが居る。 事故を起し香南市教育委員会からもお達しがあり今はやってないがピンはそのまま残っている。ビル等の壁面にボルト・ビスを打ち込む時はコーキングを塗った上でビス等を打つのが常識 そのままにするとピンを打ち込んだ隙間から水が入り岩が崩れる可能性ある。
18-09鬼が岩屋ピン
↓垂直に切り立った高い壁に何ヶ所もピンが見えた、許されることではない。
18-09鬼が岩屋の壁


親サイト高知の面白いページ

関連記事
土佐の昔の面白情報 | コメント:0
山内はよそもんじゃき
2018-06-09 Sat 09:15
筆者は山内家の次男坊と家も近く幼稚園から親友でそのことを話すと
おんちゃんたちに(山内はよそもんじゃき)とよく言われたけんど、、、
そもそも日本人は大昔に大陸から移り住んだ民族で天皇陛下もそう。
山内家も土佐に来たのが長宗我部氏より遅かっただけ それより
現在の高知市の元を創ったのは紛れも無く山内一豊と康豊兄弟じゃきね。
山内はよそもんじゃき

↓寛延年間頃高知城下郭中之図(吉松靖容氏写し図)江の口川と鏡川に挟まれ 三角州の中央の大高坂山を中心に侍の区画の郭中を作りその東西に商人の上町 下町等を作ったのが現在の高知市中心部
寛延年間頃高知城下郭中之図

どうしてほとんどの おんちゃんが山内を他所もんと言うか? 考えてみたら これはもちろん関ヶ原の戦いで徳川に付いた山内一豊が褒美として掛川からもっと広い土佐を頂き長宗我部氏の家来が残る土佐に入り色々な手で息の根を止めたのが一番の理由と思う、その後長宗我部の家来の家系は幕末まで城にも上がれん軽格(今では下士と言う・白札の武市半平太等は特別)と言う身分に置かれちゅー それに明治からは平民と士族と戸籍謄本に書いたのが昭和四十年頃まで残り、大政奉還の立役者の龍馬人気もあり今で言う上士は龍馬の敵と言う小説 映画 大河ドラマの影響が大きいと思うけんど、どうじゃろうね。高知市の明治時代の人口で士族は千人足らず それ以外と平民は数万人と言う圧倒的違いも理由の一つ。


親サイト高知の面白いページ

板垣会
NPO法人板垣会

土佐史談会




関連記事
土佐の昔の面白情報 | コメント:0
江戸時代の1727年高知城の北西からの飛び火により追手門以外消失し
本丸の天守を初め二ノ丸 三ノ丸の建造物等 再建に26年の年月がかかった。
スベリ山の不思議

↓絵図(吉松靖容氏)の北部分・中央上に丸く囲まれた部分に御証文倉があったが西方面からの飛び火で高知城は壊滅的な被害を受けた。これ以後火災の延焼を防ぐ見地から、周辺の樹木等を制御して来た所であり、整備以外の現状変更を規制するとともに、特に過多な植栽をしないよう留保して景観の保持を図るものとする(史跡高知城跡保存管理計画の必要性と策定の意義より)
御証文倉の部分


親サイト高知の面白いページ



関連記事
土佐の昔の面白情報 | コメント:0
| 高知の面白情報・今昔・夜景・等々 |

フリーエリア

にほんブログ村 写真ブログ 四国風景写真へ
にほんブログ村

フリーエリア

カウンター

| 高知の面白情報・今昔・夜景・等々 | NEXT