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高知の面白情報・今昔・夜景・等々

高知城国宝化運動 土佐の歴史 高知の夜景、面白、巨木・滝・四季の様子などを画像で紹介

高知城天守は古い形と言われる望楼型天守、層塔型との違い良さは?なぜ再建時望楼型にした・

望楼型天守は古式ながら自由度の大きい天守との解説は城郭建築研究第一人者の三浦正幸氏
望楼型天守とは?
望楼型天守は1階建てや2階建ての大きな入母屋造りの建物の上に
1階建てから3階建ての物見(望楼)を載せていることから、望楼型と
呼ばれます。織田信長が最初に造った史上初の天主(天守)は
望楼型でした「三浦正幸氏解説のお城のすべてより」

👇層塔型天守は シンプルな形で1階から最上階まで順番に積上げて行く形式
各重の屋根は均等に張り出していて、五重塔のように見える。層塔型天守は
慶長九年築城名人と言われた藤堂高虎が建てた今治城が最初とされている。
層塔型天守が主流になった理由は造る時の効率の良さ。まず構造が単純で
工期が短かったこと。又望楼型天守のような屋根裏部屋が無い、 中略
つまり層塔型天守では、天守の長辺と短辺の両方から同じ軒数づつ積み
重ねて行くので、間口と奥行きの差はそのまま上に積上げられて行きます。
その為天守の1階平面は正方形か正方形に近い長方形で、1階平面の長辺と
短辺の差は原則二間以下(柱と柱の長さ)で無ければならない(三浦氏資料)
画像は築城名人と言われた藤堂高虎が建てた宇和島城
24-04-10uwajimajyou_2024041010585338b.jpg

◎以上のことを考慮すると享保12年(1727年)焼失した天守を寛延2年1749年に
再建する時残った本丸の石垣そのままの上に乗せるには いびつな形の本丸に
には古い形であっても望楼型天守しか選択肢は無いと言う結論に達する。
(三浦氏資料より考慮)

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高知城を国宝化するための一番大事な 新しい知見とは?

国が定める国宝建造物指定への道筋において一番大切な *新しい知見とは??
新しい知見とは?

高知城国宝化に向け 過去2017年久保博道高知県議員
3年後2020年県議会においては上田こうたろう高知県議員
が県議会において、知事に高知城国宝へ、県の取り組みを
お願いしたことでしたが、いづれも(新しい知見が無い)との
ご返事で 残念ながら二回共 前進することが出来なかった。

令和5年12月某日 城郭研究第一人者の三浦正幸先生
(工学博士、一級建築士、広島大学名誉教授)と高知城
国宝化への可能性について有意義な意見交換の時間を
頂き大変勇気づけられました。

日本の現存の城を熱心に研究されておられる先生は
「高知城は日本一の名城です!」と幾度も明言された
からです。「戦国の世以来の天守の残存率は0.01%です
が天守が現存しているだけでも奇跡です」
三浦先生は「高知城には本丸部分の建造物等がすべて
残り、他にも高知城だけにしか残っていない優れた建造
物等が随所に確認できます。現在国の方針では国宝が
少ない県においても研究された新しい知見として発表
すれば困難はありますが、可能性は低くはありません。
高知県は大豊町の豊楽寺本堂1件しか国宝建造物が
ないので、極めて有望です!」と語気を強められました。

令和5年12月の県議会で前記の事を踏まえ 久保博道
県議から3度目になる「高知城の国宝化」への質問に対
して、知事から 大変前向きなご答弁を頂きました。
これは高知城国宝化に向けての大きな前進です。

従来の天守だけの国宝を目指さず、徳川と山内家との
間で残された古文書等を洗い直し、それ等をひとまとめ
にした研究論文として発表し新しい知見として認められ
ると国宝高知城へ 必ず実現するものと確信してます。

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高知城本丸御殿には障壁画が描かれていた。

現存唯一の高知城本丸御殿の現在は質素そのものだが 昔は障壁画はあった!
①本丸御殿障壁画

👇全国唯一残る本丸御殿だが残念ながら懐徳館と言う正式名称がつけられている
書院造りの御殿は明治6年公園化された時に懐徳館と名付けられ一般に開放された。
明治12年から同29年まで県立図書館の前身の高知図書館が設置され図書が一般
解放されていた。
②24-01-27本丸御殿の図

👇創建時に一豊夫妻が一時期住んだとされている。
⓷24-01-27本丸御殿説明1

👇あまりにも地味だが間違いなく唯一本物として残る本丸御殿の説明
④24-01-27本丸御殿説明

👇藩主が謁見の為の上段の間
⑤24-01-27本丸御殿上段の間

👇三ノ間(12畳)から見た二ノ間 と 上段の間 逆L字型で珍しい配置
24-01-27本丸御殿の各部屋





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高知城天守の廻縁(回廊)と黒漆塗りの高欄と擬宝珠は唯一無二

現存天守で廻縁(回廊)に実際に出れるのは犬山城(国宝)と高知城のみ
高欄は国産の黒漆塗りで さらに格調高い擬宝珠まである。
高欄が低く安全の為後付けで、真鍮の欄干はついています。
回廊の高欄と擬宝珠は黒漆塗り

👇天守の回廊と高欄は雨風にさらされ耐久性が悪い為、戦国時代を過ぎると
急速に廃れていくなか、焼けて再建した天守も山内家は 周り縁(回廊)と高欄には
こだわって建てた。
現存天守唯一高欄の黒漆擬宝珠

👇廻縁に出ている観光客
天守最上階より回廊

👇回廊から高知の町の東の町並み(天守内部にある写真より)
東

👇中心部より西の街並み
西

👇南側の景色・現在山内宝物資料館は閉館してます(高知城歴史博物館が出来たため。
南

👇北側・  左手前に二ノ丸
北

👇犬山城の高欄など良く解る👇
【お城の基礎】廻縁(まわりえん)と高欄(こうらん) | 犬山城を楽しむためのウェブサイト
犬山城を楽しむウェブサイト 

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高知城国宝化運動のノボリをこじゃんと立てました

高知市大原町市営体育館北面の道路際に高知城を国宝に!! ノボリをいっぱい立てた。
0023-12-09国宝ノボリ

👇新しいデザインのノボリは 学校法人龍馬学園さんが100枚作ってくれました。大感謝です!
①23-12-09国宝ノボリ設置

👇7年前から国宝化のノボリを協力して立ててくれる市営球場入口のタコ焼き屋のオンちゃん。
ノボリを斜めに立てているのは、通行の邪魔にならんようにとのことです。
②23-12-09はなまるくんとのおんちゃん

👇市営球場入口
⓷23-12-09はなまるくんとノボリ

👇大粒タコ焼き はなまるくん こじゃんとおいしい。みかん トマトとかも 安いきね。
高知を元気にと 色々な努力をしてくれちょります。
④23-12-IMG_3686

👇31秒の動画でこじゃんと様子が解ります。





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高知城天守東下(右)に犬走りと書かれた場所がある           

寛文年間(1661年~1667年)頃の絵図を見ると高知城天守右に犬走りがあり、
さらに左上に武者走りと小さく書かれちょります。この犬走りの意味は、現代の
民家にもある犬走りの意味とは違い、他の城や堀に施工されていて、犬走りを
施工することで、崩落を防いだり、整備がしやすく又 石垣からの圧力強度にも
大切で「犬が通れるくらいの小道」として、様々な通路や作業スペースのために
施工されちょります。
 寛文年間 高知城犬走り
 また武者走りとは城のまわりの土手の内側に設けた通路。また、天守閣の
各層の外壁の内側に設けられた通路で文字通り戦の時武者が攻撃を受けた
時、ここを走り防ぐ場所。
*古絵図は昭和31年頃 皆山集等を参考に 故吉松靖容氏が写し描いた
物を許可を頂き写し撮ったものです。

👇現在の場所の画像。右上が天守東側の石垣で手前が鉄門跡上から三ノ丸
に行く道、ただ古地図では行き止まりになっちょります。江戸時代後期か 
それ以後変更したはず。
23-08-27高知城犬走り

マピオンの地図で 犬走りの場所を見る

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高知城天守等を火災から守る工事

念願のスプリンクラーが高知城天守に設置中.見た目はやぼに見えるが止むを得ん設備
23-07-13一階配管

👇ここから大量の水が出てくる
23-07-13ノズル

👇本丸西下の梅の段に出来た建物の下に大きな水槽があり、強力なポンプで本丸に大量の水を送る
22-07-20高知城梅ノ段

👇工事は令和6年3月6日までとのこと。まだまだ最上階までと 本丸御殿、詰門等々
おしらせIMG_0535

👇天守一階工事中の動画

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高知城下 丸の内緑地リニューアル令和5年3月末

木々が減って解放感たっぷり 広々としたスペースに生まれ変って、県民市民の憩いの場所になった。
23-03-29丸の内緑地JPG

👇色んなイベントが出来る広い場所
②23-03-29丸の内緑地

👇県外から来る観光客はここは通らず城の玄関の追手門に行ってもらわんといかんぜよ。
④23-03-29丸の内緑地JPG

👇高知工業生がデザインした東屋、おんちゃんの昼寝の場所だけにしとうないね。
⓷23-03-29丸の内緑地JPG

👇この場所は藩政初期は侍屋敷でその後は馬場として利用の説明
⑤23-03-29丸の内緑地説明

👇戦後料亭があった場所から見た。
⑥23-03-29丸の内緑地

👇41秒の動画

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高知城三ノ丸でサーカス 入場料子供は500円

令和4年10月1日から10月23日まで高知城三ノ丸でサーカスがあり三ノ丸のみ通行止め
〇二二-10-01追手門サーカス看板

②22-10-01追手門サーカス看板

③22-10-01杉の段から三ノ丸

④22-10-01サーカスブランコ

⑤22-10-01三ノ丸 噴水

①22-10-01ピンクの天守

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昭和の大改修前の天守北面下には花月売店があった

昭和23年から始まる高知城昭和の大改修が始まるまであった花月売店 
左上に天守が見えるこの後 三ノ丸の標準木の南に花月売店は移転した
その後、年月は不明だが県立文学館北側に移転し昭和56年3月31日移転
とある(史跡高知城跡高知県教育委員会発行保存管理計画策定書より)
第六図 東多聞 詰門修理前_2

上の画像とほぼ同じ現在の場所を撮った
東多聞・右に詰門2(第六図とほぼ同じ場所)

👇昭和の大改修の説明
昭和の大修理

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