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高知の面白情報・今昔・夜景・等々

高知城国宝化運動 土佐の歴史 高知の夜景、面白、巨木・滝・四季の様子などを画像で紹介

昭和の大改修前の天守北面下には花月売店があった

昭和23年から始まる高知城昭和の大改修が始まるまであった花月売店 
左上に天守が見えるこの後 三ノ丸の標準木の南に花月売店は移転した
その後、年月は不明だが県立文学館北側に移転し昭和56年3月31日移転
とある(史跡高知城跡高知県教育委員会発行保存管理計画策定書より)
第六図 東多聞 詰門修理前_2

上の画像とほぼ同じ現在の場所を撮った
東多聞・右に詰門2(第六図とほぼ同じ場所)

👇昭和の大改修の説明
昭和の大修理

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令和4年2月23日高知城の枝垂れ梅と防火設備工事

高知城梅の段の枝垂れ梅:咲くと高知県民が春が来るのを感じることが出来る
22-02-23枝垂れ梅

👇写したのは二ノ丸から、、満開はおそらく2月27日頃
②22-02-23枝垂れ梅

👇梅の段は本丸の建造物の防火設備工事が7月まである為通行止め
③22-02-23枝垂れ梅

👇シータンはいつも通り
④22-02-23枝垂れ梅

👇みぞい動画

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高知城天守を南西から南東から見た

ちょっと珍しい角度からの高知城天守 撮った場所は検察庁の北東角から
令和3年10月30日.南からと東からブルーのライトトアップ 西の城西館からは
通常の無償でのライトアップ 
21-10-30南西より天守

👇天守と追手門とが撮れることで有名だが天守が松に隠れるようになってきた。
天守が綺麗に見えるように、松の枝の剪定を お願いしたいものです。
21-10-30天守ブルー

高知城ライトアップ全何色?【なるほど!こうち取材班】

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グリーンの高知城天守と高知市中心街の夜景

臓器移植普及推進月間として2021年10月16日から高知城天守がグリーンにライトアップされた
10月19日午後6時、日没後すぐで空は黄昏 文字通りブルームーン
⓪21-10-19天守グリーン

👇左手前に高知県庁
 3月には世界緑内障週間に合わせ、やはり天守をグリーンのライトアップがある。
①21-10-19天守グリーン

👇筆山の駐車場とほぼ同じ高さの天守
②21-10-19天守グリーン

👇グリーンの天守と高知市街の夜景 北東にはイオンも見える 動画



全国GREEN LIGHT-UP Project [2021]

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高知城の散歩コース

約二万坪の広さの高知城(高知公園)おすすめの散歩コースは杉の段~御台所跡~太鼓丸跡がえいです。
最後に城内の絵図に示しちょります。
⓪-09-24

👇杉の段の北側 ここは観光客も来ず特に夏は日陰で涼しい。石垣の苔が綺麗な場所
①21-08-27杉の段

👇城内での一番石垣の綺麗と言われる場所で、打込ハギの築き方。勾配が扇の勾配と呼ばれちょります。
ただ皆山集で宝永2年(1705年)この付近の石垣が崩落し築き治しちょります。想像するに三ノ丸を広げる
為築いた部分の石垣で他の部分のように地山を削り付いた石垣ではないので、崩落したと思えるがです。
 土佐美術史には備前公の寄付により築いたとあり備前岡山藩池田家と深い姻戚関係がある為と書かれちょります。
尚右の石段は付近高校の運動部が足腰の鍛錬する場所
②杉の段三ノ丸石垣

👇乾櫓下で弓道場の上にあたる道
③21-09-24

👇高知城案内図黄色の〇印がコースになる。このコース又はもう一つ上の三ノ丸~梅の段を毎日何周もする人も居ります。
⑥21-09-24高知城案内図

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高知城内の神社跡

藩政時代まで高知城の城内にあった神社跡. 山田町の高知八幡宮もここにあった。
場所は旧市営動物園跡(御台所屋敷跡)の北の下にひっそりとあるがです。
 高知城築城記によると、
(御城内正八幡、右御城御本丸に社有之処一豊公御入国之後、只今之処へ被為引移候由
(中略)二ノ丸の地南の方に少き池あり、往昔八幡宮此に鎮座ありしとて、八幡池と称すと、、云々)
明治4年廃藩置県の年に山田町に遷座され現在は高知八幡宮と称されちょります。
⓪21-08-25城神社跡

④21-08-25城神社跡

👇吉松靖容氏の古絵図面集の左隅に八幡宮・熊野神社が示されちょります。
21-08-25城神社跡


👇右上が御台所跡
⓶21-08-25城神社跡

👇2ケ所に合計4つ 小祠として残されてます。以下高知城を歩く(岩崎義郎著)
  厳島神社は、慶長16年(1611年)山内掃部介屋敷より遷座し
  祇園牛頭天王宮は中島町土手にあり、ここに遷したものですが
  明治4年、厳島神社は弘化台へ、祇園牛頭天王宮は八幡宮境
  内へそれぞれ遷座しました。
③21-08-25城神社跡

👇動画で見たら解りよいです。

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県庁がある場所には明治の初めまで表御殿等があった

南から表御殿、中奥御殿、長局と三つの建物が並ぶ、、ややこしい?場所。
すんぐに北に忍道とあるが、ここは健康な男でもしんどい傾斜のすごい崖
21-08-23御桜山
表御殿とは(公の政務・儀式などを行う正殿) 
奥御殿とは奥のほうにある建物。居間・寝所、また夫人・側室などの住まい
又隠居された藩主等が場所。
長局の建物は(長い1棟の中をいくつもの局(女房の部屋)に仕切った住まい)
との説明がネットの辞書に載っちょりますが土佐藩での正確な情報は??です。
絵図は吉松靖容氏が古図面を写し撮ったのを使用させて頂いてます。

現在との比較の図
②21-08-23表御殿

表御殿等が写ったお堀側から写した写真があったが?見当たらず残念(今井氏なら持っているはず)
とフェイスブックにアップすると30分もせずに出してくれた今井氏所有の絵葉書は龍馬の有名な写真を
撮った井上俊三による絵葉書(無断使用禁止です)
21-08-23表御殿 今井氏より


県庁の西には御桜山があり東屋が三つもあった。
21-08-21御桜山

②21-08-21御桜山

桜山の名前ですけんど現在は躑躅山と言うた方がえいです。
⑤18-04-17御桜山

👇動画 県鳥君も多数出演



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高知城の堀は4回埋立られた

現在残る堀は藩政時代と比べると いかに多く埋立てられたかが一目瞭然
まず明治7年、県庁南側が一部うめたてられ現在の様に狭くなった。
明治18年には、西側の堀が埋立てられて道路等になった。大正13年には
辷山北西に江ノ口川が湾曲したのを堀として用いていたのを埋立て、江ノ
口川を直線にした。現在スベリ山に沿った道が堀の痕、道として残っちょり
ます。戦後の昭和22年には駐留軍の指示により、東側の堀が埋立てられ、
公園駐車場、一部丸の内高校等として利用されちょります。
21-08-14新旧堀

👇唯一藩政時代の堀の奥行の広さを残す場所は、県庁南西の堀
21-08-14高知城南西の堀

👇5年前にもアップした・江ノ口川の蛇行した流れを大正13年に変えた
21-08-14高知城堀の変遷

◎お堀はこじゃんと減って残念ですが、現存する12天守として存在し
本丸御殿等本丸の建造物がすべて残る唯一の城、それに追手門も
残っちょります。胸を張れる立派な城郭です。

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高知城のお堀と江ノ口川の変遷

江戸時代の初め頃 正保(しょうほ)1644年~1648年頃の高知城の堀と江ノ口川
スベリ山北西の江ノ口川が大きくS字に蛇行している。現在の流れとは大きく違う。
21-07高知城正保年間之絵図改
絵図は昭和32年5月5日に吉松靖容氏が内閣大庫所蔵絵図を写し描いたものを撮影させて頂いたもんです。

👇付近の現在の地図、 南の堀は現在奥行き約12m 江戸時代は約21m 12間あった
江ノ口川は大正13年まで現在のスベリ山まで蛇行したあり、その後下図の現在の形になった。
スクリーンショット 2021-07-03 111644


現在の高知城 堀 江ノ口川 付近(グーグル)


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令和3年春 高知城あちこちに白詰草

高知城三ノ丸から白詰草と天守
21-05-14tennsyu.jpg

👇三ノ丸 南から北を見て                                    
21-05-14三ノ丸全景②

👇三ノ丸西から東を見て
21-05-14三ノ丸南③

👇辷山も久しぶりに白詰草が多く咲いた シロも喜んだ様子
21-05-14辷山⓸

👇スベリ山の上から西を見下ろして
21-05-14辷山 下⑤

👇西側からスベリ山を見上げる、
21-05-14スベリ山を見上げる

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