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高知の面白情報・今昔・夜景・等々

高知城国宝化運動 土佐の歴史 高知の夜景、面白、巨木・滝・四季の様子などを画像で紹介

買う半時間前までは車を買う気はなかった!

21-05-14ローレル
1998年から約2年間プライベートと仕事両方に乗った日産ローレルC33は唯一欲しくて買うた車ではない。
それまで初のマイカー・トヨペットコロナとブルーバードSSSのみ4ドアで他は全部2ドアクーペに乗って来た

 この時まで乗ったシルビアRSターボをあまりにも乱暴に乗った為ターボを3回取り換えたりで故障続き。
とどのつまり3回位続けて仕事中にエンスト、約束した仕事に行けず、いらいら状態。止まった所が昔の
朝倉のサニーの中古車センター。それもタイミング良く知り合いの店長。事情を言うと手ごろなローレル
セダンがあり、それを見ていたら、そのまま乗って行きや。とのこと、こっちも待ち合わせの時間を過
ぎてイライラ状態。ほんならと言うことで、そのままハンコもサインも無しで載せていたカバン、書類カタ
ログ等乗せ換えた。翌日会社に契約に来てもらい値段もその時に値切って正式購入した。

👇日産ローレルC33(4気筒1800CC)はそれまで乗った色々な車と違いトルクのピークが
遥かに低回転からあり、その点では町中を乗って軽快に走った。がすぐに飽きて他を探した。
21-05-04ローレル会社前
この車も他に撮った写真が無く会社の前に置いた、この写真しか残っちょりません。

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ニッサン シルビアターボS12 RS-X

 シルビアの4代目S12型RSターボを1986年~1990年まで仕事とプライベートで乗った。
残念ながらこの頃はほとんど写真を撮って無くて、子供と一緒に写したこの写真しか無い。
1988しるびあ

エンジンは6代目スカイラインGT RSターボのエンジンを搭載していたため重量が軽い
シルビアRSターボの方が遥かに軽快に走った。FJ20エンジン搭載で背の高いエンジン
を収めるためにボンネットを切り抜きバルジを設けていた。加速も軽くまだ若かった
筆者は面白がって2輪と走りあったり、仕事中でも ガンガン走った後クールダウンを
せずターボエンジンを切ったりした為、ターボチャージャーをクレームで2回取替、合計
3つ壊した(この時の説明書には高回転した後はアイドリングが必要)とあった。
20-08-28シルビアRSエンジン

愛車としては17台~21台目?と言うのは仕事兼用で乗ったセドリックバン、フォードフェスバ
ブルーバードワゴン他があり台数が自分でも疑問がある。

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JAF公認自動車レース・SR311で優勝(約半世紀前)

こじゃんと輝いた1972年10月22日岡山県中山サーキット山陽2000レースSクラスで優勝
ただし優勝したのはこの時 一回のみ。前列中央のフェアレディ2000(東名チューン) 
全体では9台だが2000クラスの出走が3台のみでホンダ1300等と同時出走のレース。


最下段に1971年から1976年までJAF公認の鈴鹿・富士・他のレースの成績のリンク有
1972年10月22日西日本自動車レース

昭和46年(1971年)上のレースの前年追手筋の駐車場にて県内のレースカー・ジムカーナーの
車を集め開催した時の写真背中が筆者・あんまり写真が残ってない。優勝した時のJAFのメダル
も探したが見えず残念。
s46年追手筋PKにてレースカー展示

ほぼノーマルの黄色のSR311では良い成績が残せず前出の東名フルチューンのSR311の中古を
東京まで買いに行きようやく一回のみ優勝の成績を残せた。2位とか3位とか6位とかリタイアの残念
な成績だった。今と違い岡山迄トラックに乗せ練習に毎週行くのは時間的にも金銭的にも大変な時代。
70年sr311

1972年頃にはサバンナRX3のロータリーエンジンが全盛になり全然勝てず翌年サバンナRX3
の新車を買い、翌日廃車しレース用に改造(販売会社ではナンバーを一度登録せんと売ってくれん
と言うし、サバンナRX3の中古車は無いし、夜中までバイトし購入 新車の内張り、座席メーター等
外し、レース用に改造して走るも、、マツダファクトリーチームが近いので遊びがてら?来て一緒に
走るも全然勝負にならんかった。第一高知から当時トラックに載せフェリーで渡り練習に一度行くと
2000CCの車のレース用タイヤは約1時間ですり減り ブレーキパットも消耗(小さい狭いコーナーが
多く消耗が激しい)特に車と腕のレベルが違い、お金が続かず練習不足、ほとんど前日の夜出発
翌朝レース場に着き、ぶっつけ本番。 ただフロンテの青木君とかは腕も車も良く連戦連勝だった。
もう一人トヨタビスタ高知の元社長 横田英樹君(FⅣクラス)も連戦連勝だった。
73年中山サーキットサバンナRX-3

JAFモータースポーツ71年から76年のJAF公認レースの成績表
トヨタビスタ高知の前社長の横田英樹氏 SRC杯ゴールドトロフィーレース大会NO1
FL-500クラス優勝とか 富士グラチャンの高橋国光 長谷見 昌弘 日本グランプリ 片山義美
等々 そうそうたる名前が出てくる.72西日本自動車レース大会NoIII10月22日に優勝(暇な人は見てよ) 
ただ最後に優勝した時出走3台完走2台!

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親父の車・・初代トヨタクラウン

昭和35年(1960年)追手前高校2年・天神町の自宅裏にて父の初代トヨタクラウンと。
昭和35年自宅前クラウン2

土手の道路に停めっ放しでサイドミラーをもがれて、無い。  ある朝、車が無い!!!
ふと鏡川対岸を見たら、、、  トヨタクラウンが見えた。親父にしては大きく乗りにくい車
だったらしく、その後マツダ・R360クーぺ~スバル360~マツダキャロル等所有していた。
出張でびっしり家を空けるので、これ幸いと高校生ながら無断でR360クーぺ持ち出し乗り
回した。 ある時親友の高校生ながら寺の坊主(住職)と女の子4人で桂浜までドライブに
行った。帰りがけに長浜の交差点で衝突し前が、べっこり引っ込み、友人と急ぎ板金し治
して置いておいたが? 親父は気が付かんかった。

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昭和46年追手筋PKにてレースカー等展示

高知でもモータースポーツが盛んな時があった。追手筋駐車場を借り切り数十台展示。手前27番の連戦連勝、FJは横田英樹氏の所有 筆者の東名チューン仕様のSR311が後方に
昭和46年追手筋にて

写りが悪いが②のSR311(東名チューン仕様)背中が筆者!
s46年追手筋PKにてレースカー展示

当時土佐スポーツカー俱楽部と関西スポーツカー俱楽部高知支部などあり ジムカーナーも盛んだったが、A級ライセンスの要るレースは岡山県の中山サーキット又は鈴鹿サーキットまでトラックに乗せ、フェリーで渡る。多い時は10台以上高知から参加しかなり成績が良かった。
IMG_3640.jpg

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初期のジムニーは空冷359CC 2サイクル直列2気筒25馬力

昭和45年頃中古のジムニーを会社の経費で買い海に山に乗り回した。
Suzuki_Jimny_LJ20.jpg
高知城も二ノ丸までは自由に乗り入れ出来たし、あちこち手頃な階段を見つけ上り下りして喜んだ。
サーフィンをやりに入野の浜まで 途中片輪走行しながら行き入野の砂浜でジムカーナーをやった。
画像は撮ったのが無かったため差し支えないのを使用しちょります。


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タダでもらって乗った 思い出の車・・・・

半世紀以上車に乗っていて思い出すと3台ただで貰って乗った車がある・・・・・・・・・
セドリックバン1900cc
このセドリックバンはタクシー並みの後部左が自動ドアじゃったです、確か
高知銀行で現金輸送に使用した車とのことで距離数は かなり走った車
じゃったですが故障無しで良く走ってくれたもんでした。

↓この初期のホンダシビックはスキーに行って左脛靭帯を損傷してクラッチを
踏めず姉が時々乗っていた車が当時珍しいオートマチィックだったので借りて
仕事等に使用、、、そのまま貰って数年間乗ったもんです。
初代シビック2ドア


↓アコードハッチバック1600CC これは姉が車を下取りに出す時同席していて
下取り価格があんまり安いのでタダでもらいました、丁度フォードカプリ2000GT
に乗っていてる時でハンググライダーを載せて山に行き 仕事にも使用したもんです。
アコードハッチバック1600
**貼ったモノクロ画像の3台の車はすべて同型車で実際に乗った車ではないです。

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11台目の車 フォードカプリⅡ2000GT

 1979年 35才~42才までフォードカプリⅡ2000GT珍しく永く乗った と言うのは休日の
ハンググライダーと仕事用で姉にアコードハッチバックをもらい そっちに乗ることが多
かったので長持ちした為と思う 自分のクルマを写した写真が見当たらず色も同じのイ
ラストをアップ 1978年にスーパーカーブームで遥かに安いこの車もあちこち行くと
良く写真を撮られた 5年後色に飽きてワインレッドに総塗り替えした。
11フォードカプリ2000GT
直4気筒 2000CC 3ドアクーペ FR 全長4.375mm 幅1698mm全高1.357mm 定員5人 左ハンドル

↓塗り替えしたフォードカプリⅡ2000GTの貴重な画像 1983年 息子と手結山にて
1983nennカプリⅱ赤


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10台目の車 いすゞジェミニ1600スポーツクーペ

1976年10台目の車はいすゞジェミニ2ドアクーペ1600CC
100馬力重量は930キロ全長4.135mm幅1.570mm高1,365mm
こじゃんと軽快に小気味良く曲がり走る車じゃったです、
10いすゞジェミニクーペ1600
1976年(昭和51年)出来事は モントリオール五輪開催 
ロッキード事件 郵便料金値上げ、はがき20円・封書50円
1等1000万円の年末ジャンボ宝くじ発売

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9台目 マツダサバンナGT(RX3)

1973年29歳の時レース用にマツダサバンナGT購入 人生最大の無駄使いをした
レース専用なのでナンバーも車検も不要と言い張ったが発売間もない為中古車は無く
マツダのデーラーはナンバーを取らんと販売は無理!とのことでやむなく条件を飲み
1日だけナンバーをつけ町で走り翌日廃車にし座席、ボンネット、ホイル等レース用に
取り替えレース用に改造トラックに乗せ岡山の中山サーキットに持ち込んで走行した
RX3.jpg

レース中ヘアピンカーブ手前でアクセルが戻らんなりコンクリートに激突右足回りが
大きく破損 ヘアピンカーブの安全な場所までたどり着き降りてヘルメットを脱ぐ筆者
リタイア


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