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高知の面白情報・今昔・夜景・等々

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本山町汗見川はこじゃんと綺麗やけんど変な名前!

高知県本山町を流れる汗見川の名前の語源は?清流の割には汗見川とはおかしい?
汗見川語源2
汗見川は一級河川吉野川水系の支流。総延長20,1km。本山町坂瀬に源があり、工石山、白髪山、きびす山の間を南に流れ、本山町の寺家附近で吉野川と合流する。汗見川の由来は川岸にあせび「馬酔木)が咲き、それが転訛した説がある。以上 高知県語源事典より。
19-07-03汗見川 画像

土佐の昔の面白話 NO-56 井上陽水のこと

井上陽水の父は歯科医で佐賀町に歯科院を準備中倒れた・土佐史談269号土佐歴史余話
19-05-30陽水と秋水

土佐史談会機関紙 土佐史談269号目次
19-05-30目次

井上揚水の父 若水は高知県幡多郡佐賀村に明治41年父廣之助、母小竹の8人の子の長男として生まれちょります。
井上家は港町佐賀で旅館を兼ねた商売をしちょります、その関係で回船問屋とも付き合いがあり中村の幸徳家と親戚
関係(養子にとか暖簾分けとか長くなる)になったと言う。
 祖父廣之助は人よしで商売向きでなく家業が行き詰まり昭和9年頃一家を上げて神戸に出た 父若水が25歳の時で色々仕事をし歯科院で働き独学で技術を身に付け資格をとった、昭和23年待望の長男が生まれ名を陽水(アキミ)と付けた。秋水も(アキミ)と読める。
 陽水は父を継ぐべく歯科大を目指したが失敗、親の期待を裏切り歌の道に進み最初アンドレ・カンドレの名でデビューしたが売れず昭和47年本名の井上陽水で再デビュー曲は(人生が二度あれば)・・♪♪父は今年2月で六十五 顔のシワは増えてゆくばかり♪♪・・・
 父若水は当時の佐賀町長から強い要請を受け佐賀にない歯科医院を開院準備中 陽水のデビューの年の6月突然65歳で倒れ陽水の歌が鎮魂歌になった。若水は佐賀の荒神山、井上家累代の墓に葬られちょります。陽水はたびたび墓参りに帰り、里帰りコンサートをノーギャラで開いたこともあるがです、佐賀の親戚が若い陽水を中村の幸徳秋水の墓に連れて行ったこともあるそうですけんど 陽水は秋水については語らない、名前の由来も含めその心の内を覗きたい、、、と結んじょります。土佐史談をそのまま貼るわけに行かないのが残念ですけんど・土佐史談269号 陽水と秋水、参考文献は田中全(陽水と秋水 文芸はた)五号所収、2018年7月 

父のことを思い泣いても知りません。。。人生が2度あれば 

こじゃんと昔 南国市に大きな五重塔があった。

大化の改新から710年までの間に南国市比江に高さ30mを越す五重の塔があった!
比江廃寺の伽藍の想像図
上の想像図と下の説明板 共に現地にあるものです。
比江廃寺塔跡説明板

現存する礎石(五重塔の心柱が置かれた穴が証拠)
比江廃寺塔跡

比江廃寺塔跡のすぐ北西に乾の大墓(卵塔)と呼ばれる初期の土佐藩家老の乾家の墓がある。
乾の大墓全景

中央にある二つの夫婦の大きな卵塔
乾の大墓(卵塔)

土佐藩乾家と言うと板垣退助の旧姓 乾家と繋がりがあるらしい。
国府保存会説明板

比江廃寺塔跡の場所


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高橋お伝と片岡謙吉が監房で隣合わせ

高橋お伝は日本で最後に打ち首となった女囚と言われ京マチ子などで多数映画化されちょります。
19-02-12高橋お伝
片岡謙吉とは土佐藩出身。板垣退助とは誕生地が隣で戊辰戦争に参加後 征韓論争で下野,立志社社長となり 西南戦争が起きると立志社の林有造・大江卓等は銃器3000丁を買入の資金確保に手間取り挙兵計画が発覚立志社幹部が続々逮捕された 片岡は賛成ではなかったが戦況視察の為旅費を出したことが原因で拘留された。たまたま隣合わせになった高橋お伝。彼女は殺人罪で斬首の死刑の判決を受け 翌年、新たな刑法が定められて斬首刑がなくなったため、お伝は最後の斬首刑囚ということにもなります。

県庁の県議会棟入口に片岡健吉像があり 板垣退助の影に隠れちょりますが土佐藩馬廻りの上士にもかかわらず討幕派で戊辰戦争で活躍 その後自由民権運動を推進。民撰議院設立建白書や国会開設請願書提出の中心人物 衆議院議長 高知県会議長 
日本基督教団高知教会の長老であり、東京YMCA(キリスト教青年会)第4代理事長でもあった。晩年、同志社第5代社長(現総長)


昭和5年 杉の大杉の頂上を極めた大杉村の壮擧

日本一の大杉と内務省から指定され国の保護を受けた大杉村青年団が樹の高さの実測計画をたてた
2019-01-17杉の大杉の頂上

建国有史以来疾風と戦ひ、自然界に雄を壇にし来たれる老将 日本一の大杉は内務省の天然記念物
として国の保護を受けているが、管理者たる長岡郡大杉村青年団では、既報の如く、大杉保存史作成
資料として樹の高さを計測する計画をたて、篤志者川井傳吉氏のご好意により、本月27日午後一時十分
より、氏原高知新聞社員、出島杉駐在巡査、橋本勝茂神社総代が果たしてこれが昇り得る物だろうかと
疑念の好奇心をもって、見物せんとして来たれる他数百の群集と共に、拍手の裡(うら)に実行の幕を
切り落とし、鳥人川井氏は、南大杉の頂頭を目指して、樹に登り始めた、最初は一の枝まで梯子を掛け
(三十尺の高さ)それよりは長さ50尺、直径五分ロップの先端に文銅を吊るし、これを頭上に点在せる
無数の枝元に打ち掛けて一進一退と身をかわし右に左とまわり1時間50分にして目的の頂頭まで達した
     以上土佐史談33号(高知新聞・土陽新聞昭和5年10.31より引用)

19-01-17天然記念物杉の大杉
勇敢なる態度に感激と歓喜をもって拍手と歓声が送られ、頂上に立ちし氏は麻紐に錘をつけた
測量紐を垂下し樹高の測定をせらるが、これによると南大杉は全長211尺(三十五間一尺)北大杉は
全長百七十三尺7寸(二十八間)5尺7寸である。頂上に征服記念として国旗一流を立てた。
頂上よりの測定も終わり下りとなると僅かに十五分間で地上の人となった。
    以上土佐史談33号(高知新聞・土陽新聞昭和5年10.31より引用)

19-01-17大杉薀蓄

土佐史談会

見たことも無いタバコもある 古民家喫茶サレイ

アンティック&珈琲 サレイは若松町の裏通り 戦前戦後の家具・タバコ等店内にこじゃんとあります。
戦前のピース

戦前のタバコ

入口は大通りから南に一つ入った小さい道から入る為解りずらい。
サレイ入口

根回りのこじゃんと太いワシントン椰子が目印
サレイワシントン椰子

店内の様子
サレイ店内


サレイ店内3


サレイ店内2


サレイ古時計等


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恐怖!女の叫び声が!鬼ケ岩屋洞窟

香南市野市町東佐古白岩の山の中に鬼ケ岩屋洞窟がある
江戸時代この洞窟には鬼が棲むと言われ戦争中は洞内に陸軍第155師団歩兵第447連隊の一隊と思われる部隊が、防衛陣地を築いていた。全長は約30mほどだが、天井部の高さは、20mとかなり高い鍾乳洞
18鬼ケ岩屋洞窟
見る人が見たらこの洞窟も天井部分などに 鬼、人の顔が見えるはず。
18鬼ケ岩屋洞窟2

↓伝承 お妻が祠跡の記
伝承 お妻が祠跡の記700

まるで母の胎内から外を覗いたような気がする。
母の胎内から

↓50秒頃に女の叫び声が聞こえる。


鬼が岩屋の洞窟の外の石灰岩には近年クライミングをする為にピンを打ち込み自己満足の為 高い場所に登り自然破壊をし そのまま放置する悪質なやからが居る。 事故を起し香南市教育委員会からもお達しがあり今はやってないがピンはそのまま残っている。ビル等の壁面にボルト・ビスを打ち込む時はコーキングを塗った上でビス等を打つのが常識 そのままにするとピンを打ち込んだ隙間から水が入り岩が崩れる可能性ある。
18-09鬼が岩屋ピン
↓垂直に切り立った高い壁に何ヶ所もピンが見えた、許されることではない。
18-09鬼が岩屋の壁


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山内はよそもんじゃき

筆者は山内家の次男坊と家も近く幼稚園から親友でそのことを話すと
おんちゃんたちに(山内はよそもんじゃき)とよく言われたけんど、、、
そもそも日本人は大昔に大陸から移り住んだ民族で天皇陛下もそう。
山内家も土佐に来たのが長宗我部氏より遅かっただけ それより
現在の高知市の元を創ったのは紛れも無く山内一豊と康豊兄弟じゃきね。
山内はよそもんじゃき

↓寛延年間頃高知城下郭中之図(吉松靖容氏写し図)江の口川と鏡川に挟まれ 三角州の中央の大高坂山を中心に侍の区画の郭中を作りその東西に商人の上町 下町等を作ったのが現在の高知市中心部
寛延年間頃高知城下郭中之図

どうしてほとんどの おんちゃんが山内を他所もんと言うか? 考えてみたら これはもちろん関ヶ原の戦いで徳川に付いた山内一豊が褒美として掛川からもっと広い土佐を頂き長宗我部氏の家来が残る土佐に入り色々な手で息の根を止めたのが一番の理由と思う、その後長宗我部の家来の家系は幕末まで城にも上がれん軽格(今では下士と言う・白札の武市半平太等は特別)と言う身分に置かれちゅー それに明治からは平民と士族と戸籍謄本に書いたのが昭和四十年頃まで残り、大政奉還の立役者の龍馬人気もあり今で言う上士は龍馬の敵と言う小説 映画 大河ドラマの影響が大きいと思うけんど、どうじゃろうね。高知市の明治時代の人口で士族は千人足らず それ以外と平民は数万人と言う圧倒的違いも理由の一つ。


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板垣会
NPO法人板垣会

土佐史談会



スベリ山は1727年までは御証文倉があった。

江戸時代の1727年高知城の北西からの飛び火により追手門以外消失し
本丸の天守を初め二ノ丸 三ノ丸の建造物等 再建に26年の年月がかかった。
スベリ山の不思議

↓絵図(吉松靖容氏)の北部分・中央上に丸く囲まれた部分に御証文倉があったが西方面からの飛び火で高知城は壊滅的な被害を受けた。これ以後火災の延焼を防ぐ見地から、周辺の樹木等を制御して来た所であり、整備以外の現状変更を規制するとともに、特に過多な植栽をしないよう留保して景観の保持を図るものとする(史跡高知城跡保存管理計画の必要性と策定の意義より)
御証文倉の部分


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浦戸湾 孕のジャンの怪奇現象とは?

高知市浦戸湾が狭まった西孕と東孕は孕海峡と呼ばれる場所
寺田寅彦(戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人)が推測した。
孕のジャンの謎2

こじゃんと詳しく知りたい人見てよ⇒ 寺田寅彦 怪異考

(鹿持雅澄著の土佐今昔物語)の中に(孕の海にジャンと唱うる稀有のものありけり、誰しも人は今だその形を見たもの無く,そのものは夜半にジャーンと鳴り響きて海上を過ぎ行くなりけり、漁業をして渡るとちに、夜半に小船を浮かべて、あるは網を打ちて幸多かるも、このもの海上を行き過ぎればたちまち魚騒ぎ走りて、時を移すともそのやるは又幸無かりけり、高知ほとりの方言に、もののものの破談に成りたることをジャンになりたるといふも、この海上行き過ぎるものより出たることなん語り伝えたりとや)

 
五台山から見た孕海峡「左が東孕 右が西孕 大昔この場所が海ではなかった時もあり 渓谷じゃったと言うことで 西から続いた峰と大畑山から東に続く峰に南北に ちょっとズレがあり ほんで その地殻変動により 浦戸湾の底に断層があり それが時々動きジャーンと言う音になるとの説が現在の最終的な説
孕2

今日の にっこりひまわり「ブログ)にも色々アップされちょります。
にっこりひまわり


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