昭和30年代開発計画の浦戸大橋完成予想図等、、

2017.02.03 (Fri)
現在の浦戸大橋とはかなり形が違う・昭和42年高知県秘書課発行小冊子より、、
浦戸大橋完成想像図s42年発行本
完成した浦戸大橋とはこじゃんと形が違う。
uradooohasi.jpg

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高知での最初の印刷物は河田小龍の高知市全図だった。

2016.12.22 (Thu)
明治11年 高知市街全図と表紙に書かれた折り畳み式の地図、作者は河田小龍。。
明治11年高知市地図 表紙
広げると約1mある。若草色は人家、白い場所が田畑  赤い印は神社又は 寺院 教会
明治11年高知市地図

↓一番下 新田に板垣邸があり 中央の堀川は700トンの船が出入り出来る位広い、
現在の中の島ほど広く無い。河口に二つ島があり 厳島と読める、左上に丸山台
その左の岸沿い若草色の人家が筆者の祖父の家あたり
明治11年鏡川河口付近



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500m四方に学校が7校もあったのは本当ぜよ。

2016.08.04 (Thu)
高知大学朝倉のキャンバス付近に昭和36年頃隣同士で7校もあった事実、、
昭和36年高知大学朝倉キャンバス7校

高知大学と6校

↓北東にあった高知大学教育学部付属中学校、フェンスで囲われちょります、
付属中遠景1953年

↓昭和35年の大学正門、門柱には高知大学、付属中学 付属小学の文字があった筆者の卒業アルバムより。
付属小中校門

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大高坂山と小高坂山の読み方の不思議

2016.07.30 (Sat)
高知城のある大高坂山と小高坂山の読み方の不思議は??
16-07-30大高坂山
土佐史談会の機関紙土佐史談の目次に(大高坂は おおたかさかである)との論文を見つけた 探すと著者は近藤勝(付属中の社会の先生 のちに高知学園短大の学園長でその本を探していると丁度土佐史談会で知り合ったTさんが持っていて読ましてもらったが 残念ながら大高坂の読み方が古来からどうなっているか? 色んな書物を調べ(おおたかさかである)それを一冊の本にしていた(そのことに脱帽)
大高坂は おおたかさかである

読み方の ふりがなよりも自分は大高坂山と小高坂山の間に中高坂山がありそれを崩して高知城の三ノ丸を広げたその事実が知りたい、ちょっと前にアップしたように築城日誌にそのことが載っていたので あとは江戸時代と以前に書かれた地図があれば史実に証拠として載せれるので あちこち探しちょります。

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京都から東京に首都を移す発案は後藤象二郎だった!

2016.07.24 (Sun)
土佐藩の後藤象二郎は明治元年京都から東京に遷都する案を三条実美に進言したと板垣会の第2号会報にて板垣退助が書いてます。尊皇攘夷派公家の中心的存在であった三条実美の母は土佐藩山内家10代当主山内豊策の娘
後藤象二郎遷都の話3

後藤象二郎追悼演説一部

↓ほとんど忘れられちょりました東京芝公園にあった後藤象二郎の銅像(板垣退助の姿も見える)
板垣会2号より後藤象二郎銅像
後藤象二郎は土佐藩の藩主の代理、 藩行政の最高責任者で尊皇派の坂本龍馬と会談し、坂本龍馬の
提案とされる船中八策に基づき、容堂による将軍・徳川慶喜への大政奉還を進言する。

↓(会報)板垣会 第2号表紙は明治40年頃の板垣家の人々
2016-07-19 09-01-39_0076
特定非営利法人板垣会は年会費2.000円で入会大募集中です。  smskjny@yahoo.co.jp

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高知城三ノ丸を広げる手伝いは10歳以下の子供も。

2016.07.09 (Sat)
中高坂山はこうして無うなった、三ノ丸御殿を建てるには狭く中高坂山を崩した。
子供も広げた06-07-26

↓高知城天守内ジオラマ
土石1升お駄賃

10才以下の子供
この高知城が建っている山は 大高坂山 埋立には 中高坂山を崩してその土を使いました。現在も、
小高坂山と言う呼び名が残っていますが中高坂山は、築城によって幻の山となりました(土佐史談190号平成4年)
「大高坂はおおたかさかである」近藤勝 著

まだまだ中高坂山~葛ケ丘(円満寺の森)のことを調べ書くにはものすごい資料 説明が必要、
県立図書館にあった 高知県史にもあったですが、、行き着く所 七人ミサキの怪談に、、、

(本丸・二丸己に成を告げ、三丸には地盤缺焔(けっかん)ありて、土を中高坂山に取り之を補填せり、
之が為に中高坂山は毀盡て、ただ桜馬場奮圓満寺境内に小丘を残すのみなりが 之もまた維新の
後毀除き 今は一うんをもあまさざるに至れり。經營全く成りて牙城高く本丸に聳(そびえ)、之に次て
二丸 三丸の兩郭(りょうかく)大厦棟(だいげとう)を比へ、之を聯絡(れんらく)するに長廊を以てし、
樓櫓相望み石壁誚起し数個の壯門其の上に巍立(ぎりつ)し最偉観を極めたり) 以上高知県史)


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日本一の街路市の変遷

2016.07.08 (Fri)
300年以上の歴史を持つ街路市(日曜市)は明治時代は本町1丁目から2丁目にかけて開催、
明治の日曜市 本町1丁目

帯屋町の日曜市


昭和28年頃の日曜市追手筋

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龍馬役は数度 仕置きされたのは数知れず!

2016.06.29 (Wed)
南原宏治1927年6月7日 - 2001年12月20日東大中退(俳優)彼は土佐の高い空がお気に入り、
南原33

117号南原宏治

若い時は男前で羅生門 國士無双等主役が多かったが 必殺仕置き人等悪役を多くこなした。

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土佐人の翳り。

2016.06.28 (Tue)
龍馬を世に出した 司馬遼太郎は土佐人をひっくるめて翳りがあると評した、、
翳り
とても我々土佐の男は翳りがあるとは自覚はせず、一般的に酒好きで新しい物好きだが どうだろう?


明治100年を記念して土佐史談の史談随筆に寄稿して頂いた(土佐人の翳)全文
史談随筆 司馬遼太郎2


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日本人初の自家用車の持ち主は旭地区元町生まれの川田小一朗

2016.06.13 (Mon)
明治34年初の自家用車トップ
明治34年初の自家用車

↓川田小一朗誕生地(JR旭駅南西)
川田小一郎誕生地
川田小一郎について


↓川田小一朗の息子川田龍吉男爵(男爵イモ 産みの親)
男爵薯記念碑
以上男爵薯の父 川田龍吉について土佐史談191号 館和夫氏著より
↓191号土佐と北海道特集号と川田小一朗 川田龍吉のことが詳しく知りたい人は載ってます。
191号土佐と北海道特集号
同号に松岡司先生の(龍馬と蝦夷地開発)の論文が掲載されてます。
191号表紙説明


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