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高知の面白情報・今昔・夜景・等々

高知城国宝化運動 土佐の歴史 高知の夜景、面白、巨木・滝・四季の様子などを画像で紹介

土佐の雪道 長畝峠地蔵と躑躅

いの町と高知市の境 城ケ森頂上近くの土佐の雪道 長畝峠地蔵ここは藩政時代に藩主に献上する氷室の氷を運んだと言う道
19-04-19長畝峠地蔵


土佐の雪道の由来文字_0000


土佐の雪道の由来

東に降りると宗案寺附近に下りる
19-04-19城ケ森土佐の雪道

36秒の動画


城ケ森 土佐の雪道の場所

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高知大学朝倉キャンバスのひょうたん池は今でも健在

昭和31年高知大学朝倉キャンバスに高知大学付属中学がその池は現在もあった。
19-01-06高知大学朝倉キャンバスひょうたん池

図は1958年度高知大学教育学部配置図 右上にひょうたん池
(高知市朝倉)出展高知大学要覧昭和33年度より
昭和33年付属小学




↓土佐史談会関東支部理事正木宏幸氏(獣医学博士でもありO157の研究で活躍された)が付属中学の後輩だったので朝倉城跡等案内したあと懐かしいひょうたん池を一緒に見に寄った。
IMG_4198.jpg



土佐史談会




第6代高知県令伊集院兼善の長女は西郷隆盛の一番目の妻

筆山の龍馬の祖父の墓のすぐ下にある旧薩摩藩士 伊集院兼善は明治15年1月に高知県令と
して赴任したが(片岡直温回想録)に、「新県令伊集院兼善は病気がちだったが、書記官太田卓之
は県庁属官や郡長や師範学校、中学校、女子師範の教員で立志社系の人物を解職した。伊集院
県令も太田書記官もみな佐々木高行等の息のかかったものである」と記されている。

伊集院兼善
高知県令伊集院兼善

塩屋崎交差点の近くの石段から筆山に約10分登った道際にある約1立方米の立派な墓石は以前
の筆者の家の墓に行く道標でもあった。近くに海軍大将永野修身の墓もある。すぐ上には龍馬の
祖父の墓があり 手前の横道を南に行くと民権ばあさんの楠瀬喜多 そのすぐ上には吉田東洋 
南に下りると野中兼山ほか幕末から明治にかけて活躍した偉人等のお墓がいっぱいあるが近年墓を移したり
墓参りをする人が減り山も荒れて以前楽に行けた場所も草木が伸び判らんなったり石垣が崩れたりで残念。


下は2018年11月17日行き写した野中兼山等のお墓。
18-11-17野中兼山墓

板垣会NPO法人板垣会

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昭和27年お城の動物園に象が来た!

80万円で象が、お城の動物園観覧料は大人10円子供5円昭和27年のこと。
ぞうさんが来ます

2018年9月4日までわんぱーくこうちで開催中よりの写真から抜粋 
「進め!高知市立動物園 ~お城の動物園から67年~ 」

お城の動物園写真館

わんぱーく観覧券
わんぱーく観覧券

昭和27年ぞうさんが来た
昭和27年ぞうさんが来た

昭和27年 象さんと兄と自分
象さんと兄と自分


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土佐の碑(いしぶみ)を未来永劫に残す作業

土佐史談会に寄贈され残されていた江戸時代から残る石碑等の拓本をデータ化
石碑も石自体が酸性雨の為 風化し苔が生え文字が見えなくなるので後世に残すには今しかない。
福島順司氏寄贈拓本撮影風景
福島順司さんが県内を走り回り石碑、墓石の苔を綺麗に取り除き約1000の拓本を土佐史談会に寄贈して頂いちょりましたがあまりの量で手が付けられず今回 日本石仏協会理事・土佐史談会理事 岡村 庄造さんがボランティアで お1人で整理をされいるのを見て これはなんとかデジタル化した方が本にするにも映像で見るにも良いと思いたち、第一 岡村さん1人では数年ですむ作業では無いと思い古文書・崩し字もほとんど読めん筆者がデジカメで写し資料として残す作業を手伝います。といったものの、、実際オーテピア4階郷土史研究室の土佐史談会にカメラ、三脚等持込み評議員の津野氏にも手伝ってもらい7月17日と18日延べ10時間でやっと100数十枚、大きい拓本は畳一枚、他4枚組、墓石4面の拓本等を撮ったが まだまだ数もありオーテピアの駐車場も開館により自由に使用できなくなり 後日仕切りなおしすることになった。
福島順司氏寄贈拓本撮影風景2

高見山にある武市熊吉が明治6年岩倉右大臣を襲撃し罪に問われた石碑の拓本
武市喜久馬 熊吉岩倉右大臣

岡本弥太 歌碑   これは読めるが字が読める拓本は少ない。
岡本弥太 歌碑

墓の4面の拓本
1 ハシモト 4面4枚2

野根山二十三士句碑
野根山二十三士句碑

土佐史談会

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高知市戦災復興史

昭和44年高知市が発行した高知市戦災復興史の色々な写真
昭和21年12月21日城見町 南海地震後
昭和21年12月24日城見町 南海地震後

↓昭和21年12月24日若松町南海地震後
昭和21年12月24日若松町南海地震後

↓昭和25年高知市大橋通  丁度この頃天神町から天神橋を渡りこの大橋通の公設市場を毎日 永国寺町の高知女子大付属幼稚園に通った、5歳ばーには結構遠かった。
高知市戦災復興史大橋通

↓戦後復興史の本
戦後復興史の本


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柳原御旅所鳥居は藤並神社から・

山内神社南の駐車場は戦前には御旅所の鳥居があった。
御旅所とは神社の祭礼で、祭神が巡幸するとき、仮に神輿(みこし)を鎮座しておく場所(デジタル大辞泉)
山内神社鳥居

柳原公園と みどりの広場の今昔写真

昭和の時代は柳原公園と呼ばれ平成の世に みどりの広場となった
松の木の左には山内家の散田邸と呼ばれる1万坪ばーの屋敷があった。
柳原公園とみどりの広場
昭和40年代まで現在のみどりの広場附近は現在と違い車がそのまま鏡川に乗り入れ出来たもんです、洗車をするにこじゃんとのーが良かった。あちこちの中洲も広く干潮の時はボートにも乗れんばー川が浅く 泳ぐ場所は限られちょりました。

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西郷隆盛・山内容堂公・会見の地

三翠園ホテルは大政奉還に向けて西郷隆盛と山内容堂公が会見した場所

山内容堂・西郷隆盛会見


西郷隆盛会見の地


三翠園庭園

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土佐史談会

維新三傑と土佐藩首脳との会談の地

明治4年薩長土の西郷・木戸・板垣等が会見し天皇に
兵を献じ 近衛兵となる約束の地(開成社跡)
近衛兵約束の地

↓山内神社西入口にある 近衛兵の碑 高知県近衛兵会長 山内豊秋 書
近衛兵之碑

碑文
近衛兵碑文

土佐山内家18代当主 山内豊秋氏は昭和天皇の副葬儀委員長を勤められました。

板垣会NPO法人板垣会

土佐史談会

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