旭地区に佐々木町として名前を残した佐々木高行

2017.02.09 (Thu)
龍馬の行動に理解を示した佐々木高行 藩士と郷士の身分が確立されている
土佐藩の中で上士の板垣退助や谷干城と同じく、郷士に対し寛大だった人物
佐々木高行1
龍馬、中岡慎太郎が暗殺されたのを聞き
風にてありけるに、君がためこぼれる月のかげくらくなみだは雨とふりしきりつゝと嘆いたとのこと、、

↓高知市横浜東町の誕生地の碑
佐々木高行2
高知市歴史散歩HP 広谷喜十郎氏より

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膏取り騒動とは??

2017.01.12 (Thu)
明治4年土佐の山間では まだまだ現在の様な教養を持つまで
至らず 流言飛語に惑わされ考えられんようなことを信ずる時代
膏取り騒動とは

明治四年暮れに発生した膏取り騒動発端は他県にさきがけて
創設した近代的医療機関の吸江病院に雇われた外国人医師と
備品の鉄製ベッドが民衆の恐怖を喚起した。「この度政府が
藩主を追い出し県の邪な職員が異民族の医師に日本人を売渡し
鉄灸(病院のベッドのこと)に乗せて下から火で炎り、膏
(あぶら)をとって彼らの滋養に供させる」との噂が乱れ飛び
総勢一千人の大一揆となる、、、、
土佐史談231号(文明をめぐる官と民の葛藤)松田裕之氏著



膏取り騒動は、徴兵令施行のため各戸について年令を調べ、家に
調査番号をはりつけたりしたので、不安に思ったその時「外国人が
来て吸江病院の鉄製の寝台の上で若者の生血を取るのだ」というデ
マが飛んだので、混乱を起した。この時県参事林有造は出兵をさけ
自ら鎮撫の先頭に立って池川の主謀者竹本長十郎外五名を捕え斬首、
土佐郡森郷の山中陣馬は事のならないのを察して自殺したので県の
役人の説得に従って無事に拾収された。津野山方面ではその噂は流
れたが、新政を歓迎するリーダーがいたので事無きを得たのである。

土佐史談182号 市町村制百年記念明治の土佐特集号
(発足前後の東津野) 上田茂敏氏著


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龍馬の甥 坂本直寛の北光社北見市移民団出航の地

2016.12.20 (Tue)
龍馬の意思を継いだ甥の直寛が自由民権運動で活躍した後 北海道開拓団
北光社として350名を乗せ720トンの貨物船が船出した場所 ここも野中兼山が造った。
16-12-20堀川

北光社移民団出航の地の説明
kitami石碑

北光社移民団出航の地の碑

↓1分の動画


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高知県中土佐町久礼の山奥に落ちた飛行機、、

2016.12.07 (Wed)
昭和20年7月12日夏枯峠近くに海軍機が墜落炎上9人の尊い命が失われた・・・
九魂の塔遠景

県道41号線久礼から大野見の途中  9人の魂を祀った碑
九魂の塔2
    (碑の後ろに刻まれた文字)
昭和20年7月12日夏枯峠の近くの山に海軍機が墜落炎上し若者勇士9名の尊い命が失われた
村人達は敵機の墜落と思い竹槍を持ってこの山に登った、戦時中であり軍の秘密として
隊の名前も氏名も明らかにされず時が流れたが県厚生援護課の協力によりその氏名が判明した
ので午歳会が発起人となり広く有志の協力を得て後世に戦争の悲惨さをしるすと共に終戦40年に
当たり九名の御霊を永久に安まりますよう念じ供養塔を建立する。

昭和60年8月15日   大野見村午歳会大野見村民有志一同  中土佐町有志一同
高知県海洋会高知県甲飛会
九魂の塔



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神奈川県大磯に徳川、島崎藤村、山内家の別荘が昔あった!!

2016.11.24 (Thu)
歴代総理大臣8人が邸宅、別荘を構えた湘南の奥座敷大磯、名前を見たらビックリ!
湘南の奥座敷 大磯

↓じっくり見たら凄い名前ばかり 最初伊藤博文が住み政治的な理由、流行等あり集まったとのこと、もちろん住んだ年代が違います。
湘南の奥座敷地図

↓1960年筆者が山内家の別荘に泊めて頂いた時 浜側から写した写真、屋敷の内部等写して無く残念。
山内別荘
現在吉田茂の別荘の建物(敷地約1万坪)は消失し 山内家の別荘(敷地 数千坪)は大磯の役場とバイパスが出来ほとんど残ってないです。

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高知市潮江地区の明治~平成の変化

2016.11.24 (Thu)
潮江地区人口2

↓大正15年潮江は ほとんど田んぼで人口は約5.000人
大正15年頃の潮江
↓高度成長期、、それが人口3万人位になった。
昭和46年潮江地図上記資料は潮江中学校の潮江の本より。

↓大正15年潮江村 高知市に合併の記念碑は天神橋南詰めクスノキの大木横にある。
大正15年潮江村高知市に合併

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明治4年高知藩の人口は50万人超、、

2016.11.17 (Thu)
版籍奉還の後 明治4年5月高知藩から民部省への届け出書の内訳・やはり平民が多い。

明治4年高知藩の戸数・人口2昭和44年発行(高知県の歴史・山本大著)参考

華族とは 明治以降の特権的貴族層で土佐の場合土佐藩主
卒族とは 下級武士で同心、足軽。 郷士のなかで金で買って一代限りは平民と見なされる。

明治3年 士族が今で言う県庁職員になり 兵隊には士族、卒族、平民の中から選ぶ。
武士の切捨て御免を廃止この時点では士族の廃刀は自由、平民も馬に乗って往来できるようになった。
士農工商の隔ても無く貴賎上下の階級由るによらず貴重の霊物なるを知らしめ人々をして自由の権を与えことごとくその志願を遂げしむるを庶幾するのみ、、、、)
この思想と布告にもとづいて板垣退助たちは藩政改革を実施した。


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昭和初期 土佐の十景の第2位だった場所

2016.09.11 (Sun)
仁淀川支流勝賀瀬川 鷹羽ケ森の北面下のすごい渓谷に残る水神堂の滝。
右上に林道のガードレールが見え 左下にかすかに滝が見える 急峻な谷間は
昭和50年の大型台風で渕が埋まり、道が崩れ かっての面影は無い、、。
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荒れた急なつづら折れの道を約半時間降りたら立派な石碑があり名勝地 霊山三ツ渕山の石碑があった。
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現在残る渕と滝はこの水神堂の滝と呼ばれ、底が見えん様な深い渕、この他二つあったらしい、その昔道も整備され行楽客も多かったとのこと。
水神堂の滝2009

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筆山ドライブウェーは失業対策事業で昭和33年から10年かけ完成。

2016.08.16 (Tue)
昭和33年より昭和43年度
筆山ドライブウェー

高知市の鏡川に筆のように映る姿から筆山と呼ばれる山にドライブウェーは昭和43年完成、、
筆山ドライブウェー案内図

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鴻ノ森別名 高ノ森・神森が夕焼けの右に見えた。

2016.08.02 (Tue)
高知市福井の北部にある城跡の鴻ノ森は他に高ノ森 神ノ森 恋ノ森と名前が多い、右のピラミッド状の国見山手前が鴻ノ森。
16-07-29夕焼け

↓以前は山頂が平で 高知市あちこちから見たらすんぐに判る山でしたけんど近年山頂の木々が伸びて判りずらいです。
晴れたに日に鴻ノ森の中腹から反対に高知市中心部を見た,中心が小高坂山その左が高知城の大高坂山
16-08-02kounomori.jpg

↓戦国時代には鴻ノ森城があり別名 白米城とも呼ばれたことが書かれちょります。
高ノ森 恋ノ森

知人が作った鴻ノ森城のHP http://tosareki.gozaru.jp/tosareki/hokubu/konomori.html

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