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本当は(吾シスルトモ自由は死セン)と言った!!
本当に言ったのか
刃物で刺されてとっさに(板垣死すとも自由は死せず)とか言える訳が無い
とか 新聞とかが書いたのが言葉として残ったとか、ところが岐阜県の今で
言う警察のこの事件に関連した資料があったがです。

暗殺しようとした愛知県の教員 相原が反抗にいたるまでの経緯が詳細に
延べられ 事件の時板垣の胸部を目標とし(将来の賊)と呼びかけ行動した。

板垣の傷は浅く約10日後の明治15年4月8日岐阜を離れる時に延べた 
自分が死ぬことがあったとしても「自由ハ永世不滅ナルベキ」と笑った、
と記録され これとかが 後々の言葉と定着したのでしょう。

 以上 板垣退助暗殺未遂事件HPより知っていましたか? 近代日本のこんな歴史 ホーム

↓板垣退助40歳代の画像
Itagaki_Taisuke_young.jpg

犯人の相原は服役後板垣に面会 その時板垣は相原を気持ちよく許し
涙を流して彼は北海道に行きますとの言葉を残し北海道行きの船から
永遠に姿を消したとのことです。
 
 土佐史談に 刺客 相原の遺書として 
(春雨の今ふるさとへ帰るのは生るも同じ国のためかな)と 紹介されちょります。
土佐史談の機関紙には相原のことは色んな先生方がこと細かく書かれてます。

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