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幕末 大政奉還から 戊辰戦争へと 大きく揺れた土佐藩、、

幕末土佐山内家は3頭政治 それを昭和の山内家18代当主が歴史を紐解き土佐史談に寄稿。
幕末三頭政治

幕末土佐藩の主脳はいわゆる三頭政治で、隠居二人に若年の
藩主という稀有の形であった。隠居は十二代藩主豊資(景翁・
明治元年現在七十四歳)と、十五代藩主豊信(容堂・同年現在
四十一歳)であり、藩主は十六代豊範(同年現在二十一歳)で
あった。  この三頭政治で表面上は藩政が平穏裡に運ばれて
いるかに見えるが、内面の軌牒は相当なもので、これをどうにか
取りまとめてきたのは、とかく批判はあっても、やはり景翁の
老巧さと勢威によるものであったが、幕末における土佐藩の
態度に、とかく因循のそしりがあったとすれば、‐その一因は
上層部の多頭制に帰せられるべきであろう。

あえてその実情を開陳すると、まず、嘉落で剛果な容堂と、謹直
で誠実な豊範ではまったく性格が異って居り、政策上の意見の食い
違いが内在し、また、夫々附随った家臣との関係から、豊範は武市
半平太と彼の同志を救解するため泣いて容堂に訴え、景翁にすがり
てもみたが、その努力もむなしく若い藩主の意志は無視されて、あ
たら有為の人物を数多く処刑する結果となった。豊範の長子である
先代の豊景は、豊範の考え方に強く共鳴し、その立場に同情し、容
堂の浪費に反発を覚えていたが、何といっても容堂は土佐藩の大黒
柱であり、人格者といえなくても、彼個人の能力は抜群で、学もあ
り心臓も強く、その政治感覚に至っては当代屈指とみられていた。

以上 土佐史談155号に昭和の山内家18代当主山内豊秋氏 寄稿の中から一部抜粋

追記 13代 豊凞(とよてる)は約5年 14代 豊惇(とよあつ)は藩主になってわずか
12日後に死去した為 徳川の温情による土佐藩取り潰しを免れた経緯とかがある。

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