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江戸時代の1727年高知城の北西からの飛び火により追手門以外消失し
本丸の天守を初め二ノ丸 三ノ丸の建造物等 再建に26年の年月がかかった。
スベリ山の不思議

↓絵図(吉松靖容氏)の北部分・中央上に丸く囲まれた部分に御証文倉があったが西方面からの飛び火で高知城は壊滅的な被害を受けた。これ以後火災の延焼を防ぐ見地から、周辺の樹木等を制御して来た所であり、整備以外の現状変更を規制するとともに、特に過多な植栽をしないよう留保して景観の保持を図るものとする(史跡高知城跡保存管理計画の必要性と策定の意義より)
御証文倉の部分


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