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川の名前は時代により、地域によりこじゃんと変わる!

第五代土佐藩主山内豊房は文人であった。元禄時代に潮江川を鏡川と命名したが、地元では依然として鏡川の名前ではなかった。
物部川、新荘川は鏡川5

藩主山内豊房公が鏡川と命名したにもかかわらず、明治時代になっても流域の
部分を限定して潮江川、鴨部川或いは雁切川という河名で呼んでいるという。

画人河田小龍が製作した明治十一年の『高知市街例」(本県ではじめての印刷
地図)をみてみると、鏡川の名はなく、潮江村附近に「潮江川」、上流の「紅葉橋
附近に「雁切川」という河名が誌されている。明治二十六年の『新撰高知市街地
図』も同じ記載になっている。そして、明治二十九年に翠軒主人(松野尾章行)
が製作した『土佐国高知市街図』には「鏡川」の名前が出ており、鏡川という河名
が正式に高知市の市民権を得たのは比較的新しいといえる。
 以上 土佐史談194号(土佐の水特集号)鏡川今昔考・広谷喜十郎著より抜粋

土佐日記時代推測図・ 野市、物部の文字の下に鏡川の文字が見える。
19-09-21物部川

明治11年最初の高知市地図の印刷物は河田小龍が描いたもの。潮江川と潮江山の文字が見える。尚筆者は昭和42年頃まで天神橋南岸に住まいしちょりましたが筆山のことは潮江山と呼び、現在皿ケ峰と呼ぶ山は高見山と呼びよりました。地元と他所からでは呼び方が違うのを実感しちょります。
明治11年高知市地図

以上 物部川と新荘川は鏡川と言う名を土佐藩山内家に対し、遠慮をしたか?
それとも土佐藩から同じ名の川の名前があってはいかんと お沙汰があったか?
これは推測するしかない。      土佐史談会 島崎順也

高知市歴史散歩、最後の行にも説明が!
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