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土佐山田町 野中兼山終焉の地と野中神社

野中兼山は物部川の山田堰 仁淀川の八田堰 等々県内に多くの治水灌漑による
新田開発や在郷町の開発、港湾の整備など土佐藩発展の基礎となる事業に次々と
着手し 土佐藩の財政と民生の向上に大きな役割を果たした。しかし同僚である藩政
幹部からの反発や嫉妬を招き、失脚の憂き目に遭うことになる。失脚後、かれは香長
平野の新田開発事業の拠点として構えた山田中野の別宅「明夷軒」に蟄居。一度の
登城もせず、門を閉ざし来客も拒み読書三昧の日々を過ごしていたが、間もなくにわ
かに病を得て四十九才の生涯をここに終えることとなる。
20-03-28野中兼山終焉の地

1分2秒の動画


野中兼山の娘が40年の幽閉を解かれた後 医師として生計を立てながら、
兼山や失意の中に息絶えた野中家の人々の祭祀を守り、父の汚名が晴
れることを願って生き、遺品、家財を売却した僅かな資金で、旧臣古槙
氏の協力により山田上野の地に祠堂を建立し「野中神社」として祀った。

野中神社
20-03-28野中神社

野中神社場所
20-03-28野中神社場所



野中兼山と 娘 婉の墓は高知市筆山にある。


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