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菅原高視邸が高見町に あったと言うのは本当か?

西暦901年1月25日菅原道真公が太宰府に左遷されると嫡子右少辨高視朝臣もまた土佐権守として
京都を逐われ土佐国潮江に居住したと言われているが、約30年後 土佐日記の紀貫之が国司として来
た時も土佐国府は南国市比江であった。通勤するにはあまりにも遠い。ましてこの時代は潮江と大津
付近は海である。船で行くには港があった筈。それならば小字名に(津)等が残るはず。
それと第一に土佐権守としての屋敷にしては、あまりにも狭い屋敷跡。推測すると別邸かも??
21-02-17菅原高視邸跡

👇屋敷跡は筆山トンネル東交差点南のマンションを西に入る
②12-09菅原高見邸跡入り口

👇山に上がる道を左に進む
③20-12-09菅原入り口

👇屋敷跡と言われる場所の下に説明板があった。
④20-12-09菅原高見邸跡説明

👇菅原高視邸跡碑
⑤21-02-17菅原高視邸跡碑

👇屋敷跡の上に お墓もあるが、この当時の墓は土饅頭がお墓であり、墓石としてはこの時代まだない
と分かっている。土佐に5年間居て帰京し38歳で病死しているし墓石は新しい。
このことは長宗我部地検帳研究第一人者でもあるA氏が以前から唱えている。
⑥12-09菅原高見墓所




キリストにしても父親は居らずマリア様が馬小屋で産んだ、と言うのが通説でもあり、深く追求することでもない。







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