
現在の窪川を造ったのは山内一豊と幼少から親友であり一緒に土佐に入った
巡視共頭役 林伝衛門勝吉と言える。一豊は彼を5.000石持ち窪川家老職と
して任命し、併せて志和浦代官職とした。一豊は一の字と三つ葉柏の家紋を
許し、山内伊賀守一吉と改名させ山内の一門とした(古渓城研修資料より)
その資料 古文書 武具類 食器 民具等を無料(要予約)で見ることが出来ます。
私費で資料館を建設し展示された、ご子孫の林一将氏 088 22 1654に連絡の上)

内部の資料等



山内家の家紋入りの徳利

長さ6m(三軒半槍)もある戦用の槍は突くよりは叩くのが多かったようです。他色んな形状のありました。

大量の民具も展示されてます。四万十町に贈与をと申し出されるも 町からお断りされたのことです。
窪川の貴重な歴史的資料をこのままにするのは本当に残念なことです。是非再考をお願いしたいものです。

👇江戸時代の窪川

土佐史談会の重鎮でもある、ご子孫の林一将氏 板垣退助の母は林家から出てます。

👇古渓城研修資料

土佐藩5000石家老職・窪川山内家創業から第五代山内大學勝知江戸にて死去PDF 詳しい
郷土資料民具館古渓城の場所 四万十町四万十町見付665
巡視共頭役 林伝衛門勝吉と言える。一豊は彼を5.000石持ち窪川家老職と
して任命し、併せて志和浦代官職とした。一豊は一の字と三つ葉柏の家紋を
許し、山内伊賀守一吉と改名させ山内の一門とした(古渓城研修資料より)
その資料 古文書 武具類 食器 民具等を無料(要予約)で見ることが出来ます。
私費で資料館を建設し展示された、ご子孫の林一将氏 088 22 1654に連絡の上)

内部の資料等



山内家の家紋入りの徳利

長さ6m(三軒半槍)もある戦用の槍は突くよりは叩くのが多かったようです。他色んな形状のありました。

大量の民具も展示されてます。四万十町に贈与をと申し出されるも 町からお断りされたのことです。
窪川の貴重な歴史的資料をこのままにするのは本当に残念なことです。是非再考をお願いしたいものです。

👇江戸時代の窪川

土佐史談会の重鎮でもある、ご子孫の林一将氏 板垣退助の母は林家から出てます。

👇古渓城研修資料

土佐藩5000石家老職・窪川山内家創業から第五代山内大學勝知江戸にて死去PDF 詳しい
郷土資料民具館古渓城の場所 四万十町四万十町見付665
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