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高知大空襲の日に墜落したB29の事実

高知大空襲・墜落したB29を追って、の追跡ドキュメントの論文 (前田祐司氏著土佐史談238号)より
b29墜落の事実
昭和20年7月3日高知空襲に向かう第73爆劇団、129機の一員としてミスハップ号はサイパン島
イスリート飛行場を離陸した。ミスハップ号は編隊を組まず、無線の調子が悪かったが、機体に
異常がなかったのでそのまま飛び続けた。ミスハップ号が高知市上空に飛来したのは、空襲も
後半に近づいた頃。ミスハップ号の目的は炎上する市街地の様子を、撮影し空襲も終わりを迎
える頃、市街地中心部撮影のため1000㍍付近まで降下、炎上中の本町及び上町上空を東から
西に飛行、大きく旋回すると、今度はやや北西の方角から再び市街地に侵入撮影を始めた。
しかしこの時運悪く,丁度機体の上空2000㍍あたりで爆撃を始めたグループの真下にミスハップ
は入ってしまう。そして一斉に投下された焼夷弾の一発がミスハップ号の後部を直撃する。
焼夷弾がぶつかったのは旭町、もしくは上町5丁目付近あたりではなかったかと思われる(略)
54トンの機体は上町一丁目の電車通りに激突し機首の部分を地中にのめりこませ止まる(略)
この時切断された軽量の尾翼部分はまるで糸の切れた凧の如く数百メートル流された後、
高知城公園上空で急速に降下、梅の段に落ちる。木に引っ掛かった状態で見つかった遺体は
尾翼が地上に衝突した衝撃で銃座から投げ出され死亡した機銃手のハーマン・クルツ技術軍曹
と思われる。搭乗員は13名で墜落現場から収容された遺体は彼を含め全部で五体であった。
                        (前田祐司氏著土佐史談238号)より抜粋)
搭乗員13名で遺体は5人と言う事は8人が収容されず、その内数名かは墜落現場の地中に残さ
れている可能性もあるということになります(合掌)

👇B29爆撃機の模型の画像 機体後方下にちょっと出っ張ったものが尾翼銃座
21-12-30b29.jpg

 
 前田祐司氏は論文の中で米軍の数多くの資料を集め調査され、墜落したのはこのB29のみで
二機が空中衝突したとか護衛の為のP51と空中衝突したなどの疑問点を払拭し色々な角度、資料
目撃者等に聞き取りし238号に まとめられてます。他にも仁井田に2000㍍滑走路があった等々
数多くを土佐史談に論文として載せられてます。オーテピア内土佐史談会事務局088-854-5566
お電話又はFAX メール tosashidankai1917@theia.ocn.ne.jp でご連絡ください。
コピー代と郵送費を後日振り込んでいただければ 論文を郵送します。

オーテピア4階郷土史研究室内 土佐史談会事務局HP
令和3年12月30日より令和4年1月5日まではお休みです。

土佐史談会の機関紙201号~268号の目次

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