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慶長6年(1601年)1月山内一豊は土佐に入国し6月には新しい居城を大高坂山に決定
8月に五台山竹林寺空鏡上人が地鎮祭を行い9月に鍬初の儀を挙行し築城が開始
当時の築城工事の模様の記録は全国的に珍しく(御城築記)と他数点の資料が残っている
御城築記
これによると城に使用された石材 木材は浦戸城や高知城下周辺から集められ、瓦は大阪より
運ばれ 上方から来た築城経験者や地元で集められた人夫は1日につきおよそ1200~1300人
日当として米七号と味噌代が支給された(高知城築城400年の資料より)
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城が完成するまでの数年間 一豊は長宗我部氏の居城であった浦戸城に滞在し頻繁に築城
現場に視察に出かけたがその際 一豊は巡見笠、面頬、袖なし羽織と言ういでたちで馬に乗り
これと同じ装束をまとった家来5人(市川大炊、野中玄蕃、柏原半衛門、乾七郎右衛門、乾伊助)
が随行したと言う、この5名は長宗我部遺臣らの襲撃を警戒してての影武者であり
一豊と5名の家来を称して(6人衆)と呼んだ(高知城 築城400年より)

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