2度とあってはならん 高知大空襲は昭和20年7月4日

2015.06.18 (Thu)
平和資料館 草の家の資料の手書きの消失図では死亡487人等になってますが今でも正確な数字は
判ってないとのことです それほど混乱し ものすごい出来事だったと言うことは忘れてはいかんです
高知大空襲
高知市が初めて空襲を受けたのは昭和20(1945)年1月19日の夜、B29が神田地区の吉野に爆弾を投下し、3月4日には土佐湾に侵入投爆したと伝えられ、同7日午前1時に桟橋通りに爆弾6個を投下して若干の被害を生じた。3月19日にはグラマン数十機が侵入、仁井田から長岡郡日章村(現南国市)の海軍航空隊を攻撃している。5月24、25両日にわたって首都東京に徹底的空襲を加えた。

 アメリカ空軍は、次第に地方都市爆撃を強化、高知市も6月になって1日、7日、15日、19日、22日、26日と6回にわたって来襲を受け、そのたびに被害を生じたが、22日には市の上空でB29編隊のうち1機を地上砲火で撃墜することができた。6月26日来襲したB29 1機は、報復的に市内東部に大型爆弾を投下し、2回目には市上空を旋回して投下した爆弾は浦戸湾に落ちたので被害はなかった。7月4日早暁の空襲は最も大規模なもので、単機または2機、3機による波状攻撃で総数50機ないし80機と数えられ、焼夷弾は雨の如く、市街地の大部分は焦土と化した。市の上空で接触したB29両機が空中分解して落下したほどで、それによっても空襲の激しさが推察されるだろう。同24日午前B29 1機が来襲11トン爆弾3個を投下したが、これが高知市が受けた最後の空襲であった。
(高知市戦災復興史より抜粋)

空襲記録
高知市の中心部の爆撃はすさまじくコンクリートの建物以外はすべて焼けてハリマヤ橋からはすべて見える状況だったとのことで筆者は昭和19年10月生まれで翌年の大地震も記憶は無いですが 二度とこんなことがあってはならん 忘れてもいかんと思います
新京橋

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