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江戸時代 川を堰き止めその水を両岸の水田用等に配水し10万石に満たない石高であった土佐藩を一躍20万石以上にしたのは、このような堰を物部川や仁淀川、松田川などに造り、潅漑用水ができたことが寄与しています。
山田堰
野中兼山が最も力を入れて取り組んだ堰の一つで、完成までに26年かかったそうです。
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昭和57年(1982)、上流800mの地点に新しい堰が設けられたのでその役割が終わり 一部を復元し現在は県指定史跡になっています

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