江の口川は大正13年までスベリ山 北西で大きく蛇行していた。

2016.03.29 (Tue)
高知城築城時 長宗我部氏の浦戸城の石垣を舟に乗せ浦戸湾から江の口川を遡り現在のスベリ山北側で降ろし緩い斜面のスベリ山から石垣用の石を木製のソリの下に丸太を置き転ばして運び石垣をついた。
スベリ山1高知城の古い絵図は吉松靖容氏の書いたのを許可を頂き 写させてもらってます。

↓天守内部に展示してある築城時のジオラマにその様子が見られる。ソリに石垣を乗せすべらして上げた場所でスベリ山?
石垣を運ぶ

↓スベリ山の北側山裾に約2億2千万年前海の中にあった含化石石灰岩塊があり高知市の保護天然記念物に指定されちょりますがこの岩に接岸した船の綱を掛けたのではないかと高知城を歩くの本にも載っちょります。一番上の図の赤い〇印がこの岩の場所
スベリ山北麓の岩塊
この道路のカーブが江戸時代から大正13年まで江の口川が蛇行していた名残。


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コメント
2億2千年前の岩塊はどのようにして発見特定されたのか興味が尽きませんね。土佐湾の地形や成り立ちに迫って頂ければ嬉しいです。
鈴木誠眞 | 2016.03.29 09:11 | 編集
コメント ありがとうござうます、紀貫之の頃の浦戸湾の様子と現在の様子の比較を調べております、ただ小生は広く浅くですき こじゃんと詳しくは自信がないです。
JJJこと島崎 | 2016.03.29 10:07 | 編集
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