江戸時代の初め、土佐には鏡川が3つあった。。

2016.04.14 (Thu)
今までの定説では土佐藩主五代藩主山内豊房は/元禄13年(1700年)四代藩主豊昌の死去により後を継いで藩主となり『我が影を映すこと鏡の如し』と詠い「鏡川」と名付けたとされちょります3っつの鏡川

↓土佐日記時代推測図を見ると 野市、物部の間に 鏡川と言う名の川が見えます、現在の香南市付近にも鏡野とかの名前で残っちょります。土佐日記時代推測図鏡川2
100年の歴史を持つ土佐史談会の機関紙 土佐史談194号土佐の水特集号・水辺高知の歴史と文学・鏡川、江ノ口川に沿って・岡林清水氏著の中で (清流鏡川は初め潮江川と呼ばれたり現在の鏡川橋にては雁切川と呼称又は鴨目川を鏡川と呼ぶは第五代山内豊房公の命名に始まる、、とある。 ですが江戸時代以前に(吉良物語)の中で吉良宣直の妻の歌として(鏡川岸の藤並立添ひて都の、、、と書物が残っちょるがです。

以下は推測ですけんど 山内豊房公が命名したと言うか『我が影を映すこと鏡の如し』と詠った為 それまですでに地元で呼ばれていた他の二つの鏡川を物部川と呼び 新荘川を名を変え呼ぶようにしたと言うのが正しいかも知れんです、筆者は潮江の天神町に育ち 筆山を潮江山と呼び皿ケ峰を今でも高見山と呼ぶのが当たり前ながです、色んな山、川等々は呼ばれ方がそれぞれと言うのが面白いです。

現在の江ノ口川は その昔 大川と呼ばれちょりました、その名残が大川筋と言う町名で残っちょります。


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