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板垣退助が後藤象二郎と明治15年欧州を外遊 翌年帰高 丸山台にて船上の3000人の自由党員の大歓迎を受けたとの説明
板垣退助先生帰朝記念碑文

五台山左下に丸山台が見える 
帰朝記念碑2板垣退助は明治15年4月岐阜で遊説中の刺され「板垣死すとも自由は死せず」の有名なセリフが伝わった後同年11月欧州に外遊している。筆者の祖父も16歳で自由民権運動の弁士で その場に居たことが最近判った。

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