板垣退助の功績と人物相関図

2016.12.13 (Tue)
板垣退助人物相関図2

近代日本の道を拓いた自由民権運動の最高指導者として有名な板垣退助は 天保8年(1837)4月17日
高知城下中島町の上士の家に生まれ、旧姓は乾、無形と号した。討幕運動に参加、戊辰戦役の折に
先祖の板垣姓を名乗り、武勲を立てた。 維新後、新政府の参議に列したがやがて下野、明治7年(1874)
1月民選議員設立建白書を左院に提出し帰高。同年4月、高知に立志社を創立して自由民権論を唱えた。
 
明治14年(1881)10月自由党総理に推され、翌春、東海道を遊説の途中、4月6日岐阜中教院で暴漢に
刺された。 血潮に染まりながら板垣の叫んだ言葉は、いつしか(板垣死すとも自由は死せず)の名文句
となり、怒涛の如く全国に伝承され自由を求めて闘う人々を大いに勇気づけた。明治40年(1887)5月

伯爵を授けられたが一代 華族論を唱え、一代限りで拝辞した。以後、内務大臣に任じられること2回、
晩年は政界を隠退し、社会改良運動に専念した。相撲や居合い道などの発展の為にも尽力したが、
大正8年(1919)7月16日83歳で死去した。遺著に(一代華族論)(武士道)(神と人道)(獨論7年)(立国の大本)等がある。
以上特定非営利法人 板垣会HPより、、、板垣会

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