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高知の面白情報・今昔・夜景・等々

高知城国宝化運動 土佐の歴史 高知の夜景、面白、巨木・滝・四季の様子などを画像で紹介

飛行機に搭乗する時搭乗口から直接行く通路はボーディングブリッジと言う名前

昔の高知龍馬空港でプロペラ機に搭乗する時はバスに乗って機体傍まで行き乗ったが、、
現在は搭乗口から直接廊下を行き搭乗できる・その名も日本語で搭乗橋
ボーディングブリッジと言う

👇ボーディングブリッジが機体から離れる時をジオラマ風動画で撮った


👇ボンバル機まで行きタラップを登り乗った・昔撮ったジオラマ風動画
今でも時により この状況があるとのこと。



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二重の虹が出た、虹の根元はイオンモール高知・そこに宝がある?

令和6年2月25日午後4時頃高知城三ノ丸から北東に虹が出た、虹の根元はイオンモール高知
かすかに二重になった虹
①①24-02-25虹

👇向かって左の北の方向
②24-02-25虹_2

👇虹の根元はイオンモール高知。
③24-02-25虹

👇みぞい動画

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イチイガシの幹の中に山伏が居るのが見えると言うので撮ってみた。

須崎市浦ノ内東分の熊野神社にあるイチイガシの巨木の中に山伏姿の人が見えると言うが??
⓪⓪24-02-18

👇浦ノ内鳴無神社対岸のちょっと北側県道47号線沿いにあった。
④24-02-18浦の内熊野神社イチイガシ説明

👇熊野神社に行く階段横にある神社の説明板
⓪24-02-18浦の内熊野神社イチイガシ説明

👇社殿前にあるイチイガシの巨木・鳥居と比べたら大きさが解る
②24-02-18浦の内熊野神社イチイガシ

👇山伏姿の人が居るか?見て 探し撮ったがそう言う姿は見えず。記念写真。
④24-02-18浦の内熊野神社イチイガシ

👇動画


浦ノ内東分熊野神社の場所
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はげ川と菜の花と青空と白い雲

仁淀川支川の波介(はげ)川下流付近 令和6年2月18日 菜の花が満開
⓪24-02-18はげ川菜の花

👇上流方向を撮った 白い雲が川面に写り込んだのが撮れた
③24-02-18はげ川菜の花

👇2018年3月29日の蔵出し写っている中州は現在無いなった。
18-03-29はげ川中州2

👇48秒の動画


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令和6年2月18日桑田山の雪割桜が早くも満開

須崎市桑田山の雪割桜が早くも満開と言う新聞記事に釣られ令和6年2月18日行ってきた
ピンク色の雪割桜とイエローの菜の花と青空と白い雲のコントラストが見事だった
①24-02-18雪割れ桜

👇ちょっと高い所から、、15年前はもっと広く見れたが様子が変わって来たようだ
②24-02-18雪割れ桜

③24-02-18雪割れ桜

⓪24-02-18雪割れ桜

👇以前は見物客も少なかった。すごい人気で駐車場も増えてきている
⑤24-02-18雪割れ桜

👇39秒の動画


桑田山雪割桜の場所
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天守を見上げるカヤの古木は樹齢600年・一豊も見たはず!

高知城杉の段の古井戸から20m、天守を見上げる榧(カヤ)の古木は城内一の古木
600年と言うことは長宗我部元親・山内一豊も見たことがあり、城の火災でも残った古木
カヤの木は 碁盤などにも使用され高価な為に古木が切り取られ、貴重な木となっちょります。
カヤの木と天守②

👇カヤの木の葉。 カヤ(榧)の木は大変、質の良い木で、直径1.1mほどの
成木となるには300年かかるとも言われ、日本産の伐採できるカヤの原木は非常
に少なくなっている事から、現在では最高級木材のひとつとなっています。
以上 木材博物館HPより
スクリーンショット 2024-02-13 223133

👇動画
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安芸市川北の おかまさん(竜王天照宮ノ瀧)はこじゃんと立派な滝

おかまさんの名前の通り見事なお釜の形の立派な滝・正式名は竜王天照宮ノ瀧と言う
高さは約5m お釜(淵)の直径は約10数mあるが 滝の本等に載ってない隠れ滝だが
お釜を見るにはあまりにも危険。急な崖を降りるとき つかまった木は腐り足元は滑るし
ロープもかける場所がなかった。滑って落ちたら10数m下の岩に落ちて大怪我ではすまんことになる。
①おかまさん全景

👇お釜の下流の渓谷 とにかく暗い。三脚も立てれず画像がぶれた
②おかまさんの前方の渓谷

👇おかまさんの滝口から見下ろして撮った・結構高い
③おかまさんを上から

👇 動画で見たら全体が解る


👇近くの弁天池
④安芸市弁天池南から
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山内容堂が大政奉還後迷った挙句、板垣退助の思うつぼ 土佐藩は朝廷側に付いた

👇大政奉還の数ケ月後、徳川と薩摩が京都において鳥羽伏見の戦いを始めた。
どちらに着くか迷っていた容堂公は(戦いは徳川と薩摩の戦いとして土佐藩には
禁止令を出していた)が、小隊長の山田平左衛門と北村重頼(砲兵隊長)らは山
内容堂の禁止令を無視して参戦、前年の龍馬と西郷が結んだ薩土盟約より数ケ
月早く慶応3年5月21日西郷隆盛と乾(板垣)退助が結んだ薩土密約(両藩が武力
で幕府を倒す)の約束通りとなった。板垣退助の働きで結果的に土佐の地は徳川
からも何処からも戦争に巻き込まれず昭和の時代まで平和な土地じゃったがです
慶応4年1月4日鳥羽伏見の戦い

👇会津戦争のあと江戸に寄り 撮った写真・前列中央が板垣退助・二列目右から
二人目が山田(土居)平左衛門・その左マフラーをした谷干城 後列右から二人
目が北村重頼 後列左端が片岡健吉
写真は土佐史談(維新殉難志士特集号)表紙
スクリーンショット 2024-02-08 215544

👇土居(山田)平左衛門が眠る筆山(野中兼山墓所のすぐ上)のお墓
平左衛門は名清廉、土居氏を称す。武弁をもって知られ、板垣退助の
討幕運動に参加、小隊司令として切腹覚悟で伏見の戦いに参加し、
東征にも従った。その後戊辰戦争に従軍し武勲を上げ、明治10年の
西南戦争の折、挙兵を陰謀した為 禁獄1年の刑を受けた。出獄後2代目
立志社社長になり自由民権運動を主導、第五回総選挙で衆議院議員に
当選、ついで土陽新聞社長に推された。高知教会の長老で晩年は土居
姓を称した。墓は筆山の南東中腹、野中兼山のお墓の上方にある。
明治39年62才で没 以上土佐史談会発行 土佐の墓より


👇北村重頼は通称長兵衛。父は潮江村,馬廻り二百石。慶応四年
1月4日鳥羽伏見の戦いが始まると山田平左衛門(小隊長)と北村重頼
(砲兵隊長)らは山内容堂の禁止令を無視して参戦、勝利を得、土佐藩
を朝廷側に立たせ錦旗下賜させた。東征して帰国後武功によって四百
石中老となった。維新後征韓論起きるや現地視察に行ったが、論破れて
下野、ついで谷干城の推挙で大阪鎮台参謀となった。明治十年西南の
役当時は佐々木高行と共に帰国し、立志社の挙兵を未然に抑えた。
以上土佐史談の土佐の墓より。
墓は筆山から高見山に行く途中 武市兄弟(岩倉具視暗殺未遂)の
お墓のすぐ南西約50mにあるが 途中荒れて探すのは大変やった。



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田野町二十三士公園の菜の花と二十三士殉節の碑

奈半利川河口の二十三士公園の菜の花が令和6年2月4日満開だった
鉄橋を虎が走ったらよかったけんど 滅多に通らんね。
①24-02-04奈半利23士公園

②24-02-04奈半利23士公園

👇動画


👇幕末 武市半平太の釈放等を願い近隣の二十三士が立ち上がったが捕らえられ
取り調べも無くこの河原で全員斬首されたという
③24-02-04奈半利23士公園殉節の地

👇41秒の動画


田野町二十三士公園の場所


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こじゃんと複雑怪奇な奈半利の須川八王子宮の竜杉

安芸市の東の奈半利町の海が見えるコスモス畑の近く南東にある、
須川八王子宮の竜杉は複雑な形の町の天然記念物に指定されちゅー
①奈半利竜杉

👇とにかく複雑な杉、しかも周囲に竹等が密集して全体が解りずらい
②奈半利竜杉

👇一回焼けたようでしかも空洞の中に竹が何本も生えたのが見える
③奈半利竜杉と竹

👇横に水平に伸びた大きな枝がまさに竜に見える
④奈半利竜杉

👇手前の道から見たら上部だけ見えるが杉の木には見えん
⑤奈半利竜杉

👇須川八王子宮入り口左にも根が水平に伸びた木があった。
⑥須川八王子宮

👇動画で見たらちょっと解るかも?


グーグルで奈半利町須川八王子宮この場所まであんなしてくれる">グーグルでこの場所まであんなしてくれる.




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